『もののけ姫』の森

 

ひさしぶりの更新ですよ(汗)

7月1日の金曜ロードショーにて鑑賞しました。

実はきちんと全編通して見るのが十数年ぶりだったりします(汗)

 

当時(小学生)は、画面からにじみでる「怨念」の描写に恐怖し

自然や森、神概念について考えるきっかけの作品ではありましたが

「もののけとお姫さま」の物語を知っていることもあり

人物の物語に魅力をさほど感じず

ずいぶん時間が経ってしまったという……

 

印象は強かったので、細部はけっこう覚えていましたがね。

主に「森」について、自分が考えたことを書きました。

映画の関連書籍や情報にはあまり目を通していないので

公式とは違う内容が書かれている可能性が高いです。

 

天下のジブリ作品ですし、論考などは得意な方にお任せします(汗)

あくまでも私の意見ということで、よろしくお願いしますね。

 

※19.07.05に加筆・修正※

 

 

 

この記事の内容を整理していて

私の知識と思考能力の貧しさに気づきました。

もっと勉強したいです!!

学生生活も一年きってしまったので

時間を有効に使いたいですねv v

 

古代から現代にかけての日本の森は

次の三タイプにわけられるのではないかと

作品を見ていて感じました。

 

・「神」のいる森、太古の森

・「里山」の森、人の森

・「虚無」の森

 

主に一番目の森について、長々と書きました。

必要とされる分野の知識・考え方が圧倒的に足りず

他の方にわかるように説明できていませんね(汗)

これだけに頭を悩ませている状況でもないので

申し訳ないのですが、この状態で公開します。

 

 

☆「神」のいる森、太古の森

『もののけ姫』での「シシ神」のいる森。

「神」のいる森。おばけ、精霊のいる森。

大気に力の満ちている森。

文明に必要な「木」のある森。

 

『もののけ姫』の「シシ神」は

一神教の全能の神でもなく

多神教の役割を持つ神でもなく

土地神や氏神といった信仰すれば応える神でもなく

自然、命そのものと思われます。

 

なので一般の「神」とは違いますが

森の生き物たちが敬う特別な存在であることは確かです。

 

私がイメージする、この森にいる「神」は

原始存在に近い旧い神々

人の信仰する新しい神々によって

化け物に堕とされることも多かった存在です。

 

現在、世界各地の砂漠が広がっている土地

荒れ果てている土地でも

大昔は森が広がっていました。

四大文明付近の土地が緑豊かであったことは

発掘調査などで明らかになりつつあります。

 

文明の発達には、森を破壊し木を手に入れ

自分たちにとって住みやすい環境を作ることが

必要とされていました。

これに関係して、森の「神殺し」の話が

いくつかの神話に残されています。

 

例えば『ギルガメシュ叙事詩』でも

王ギルガメシュは都市を造るのに必要な杉を手に入れるため

化け物にして森の神フンババを殺そうとする場面があります。

大地に近い存在でもあるエンキドゥは、

王に反対するも、最後は共に闘い神を殺します。

 

脱線しますが『ギルガメシュ叙事詩』は

野人であったエンキドゥが、人間に近い存在となるために

神殿娼婦と関係を持つという描写があります。

人類が森から出ていき、都市を作ることで

「人」となっていくことを意味しているのかと感じました。

 

有名な不老不死伝説以外にも、興味深い場面が数多くあるので

一度全訳を通して読んでもらいたい作品です。

卒論で扱うには荷が重すぎたのですが

やってみたい題材ではありました。

 

空気の濃さなど、太古の森が持つエネルギーは

今よりもずっと大きかったでしょう。

現代、日本の森に入ったときも

人里近い森か、奥地寄りの森かの違いで

空気の違いなどを感じることがあります。

 

卒業論文では宗教儀式を扱っていますが

私は古代の人が「特別」信仰深かったとは考えていません。

若者に対する老人の愚痴や

夫に対する妻の嘆きなどの資料を見ていると

どんなに技術や文明は進歩しても

人の心はずっと変わらないと感じます。

 

「神」やおばけ、精霊の類が森にいるという感覚は

昔の人々にとっては当たり前の感覚で

それは現代にも通じるものだと思います。

 

文明を発展させ、快適な生活を手に入れるために

森での「神殺し」は必要なことでした。

そう感じる人々、受け入れる人々が

神話や物語の形で、その意識を残してきたのでしょう。

 

 

☆「里山」の森、人のいる森

『もののけ姫』での再生した森。

人の信仰する「神」のいる森。

おばけ、精霊のいる森。

一般的にイメージされる田舎の森。

 

神の去ったあとの森はどうなるのか。

日本ではおおよそ「里山」という

人間が住みやすく改良された自然環境になりました。

もちろん時代によって変化しているはずなので

これひとつにまとめてしまうのも乱暴かとは思いますが。

 

殺された「神」とは別の存在=人の信仰する「神」ですが

神という名前がついてないものも含まれます。

自分の身近にある関係する神は、土地神、神社の神ですね。

あと檀那寺も関係するとは思いますね。

 

 

☆「虚無」の森

人の去った元「里山」の森。

「里山」は人間が管理しないと維持できない自然環境です。

人が去った「里山」の森は

目に見えない存在にとってどうなるかを日頃疑問に思っています。

「虚無」の森、というのがひとつの答えかと考えているのですが

まだ漠然としていてまとまっていません。

 

自分の実家周辺の話になりますが、耕作放棄地が増え

子どもの頃とは生息する生き物も少しずつ変わってきています。

年配の方のお葬式も増え、空き家が植物に覆われてきています。

そういうものを見て、私が受ける印象が「空っぽの環境」です。

それで「虚無」という言葉を使いました。

 

この森についてはもっと考えを深めて

自分の作品などに生かしたいですね。