AIイラスト作成

 

話題になったのは最近であっても

実はそういうサービスはずいぶん昔に出ていたりと

AIお絵描きは思ったよりも進んでるんですね~と驚いたのでした。

 

 

 

とある作風をマスターしたAIちゃんに

アウトプットしてもらうのは興味がなかったけど

自分の過去から現在の絵をAIちゃんが学習すると

私のどの部分が「私らしさ」として抽出されるのか

ものすごく気になっていたところでして。

 

アウトプット品の扱いがああなっているなら

「mimic」お試ししてみたいのだが

私の手持ちのTwitterアカウントは認証される……のか?

 

コーセルテルの話をしよう!と思って

ほぼ寝かせてあるアカウントがあるので

認証してもらえるように、色々遊んでみますか~。

 

名前がミミックで絵が化けだぬきさんかあ、というのは

気になっていたのですけど、透かしが入るなら

AIお絵描きちゃんの未来のために貢献しちゃうぜ!!

 

自分の絵柄については「古い」としか

具体的な形容詞を頂いたことがないわけで

どんな絵を見せてもらえるのか楽しみです。

 

☆☆☆

 

とはいえずっと気になっていた

AIのお絵描きと著作権については

次の記事がまとまっておりました。

リンクはこちらです。

 

私の絵を勉強してもらうのは構わないのですが

出典と身分は明らかにしてほしい、かなあ……

ネット空間もかなり広くなってしまったので

色々と難しくなっていくのでしょうけれど。

 

☆☆☆

 

真夜中に雷雲が真上に居続けるという

はた迷惑な日があったのですが

大気がずっと振動しているので

地震みたいだなあ……と地球のエネルギーに

感心してしまったのでした。

 

愛犬はず~っと私の布団の中におりましたが

どんどんおばあちゃんになっていくんだねと思える

出来事が続いており、残りの時間を一緒に

のんびり過ごせたら幸せですね。

 

そもそもフィラリア強陽性だった子なので

陰転は奇跡であり、十分長生きしているともいえるのだ。

 

☆☆☆

 

ホームズの翻案マンガ作品は、ダントツで新谷かおる版

『クリスティ・ハイテンション』、『クリスティ・ロンドンマッシブ』を

推します。大好きなのです!!

 

だって好きな古典作家 × 信頼している同時代作家によって

生まれる「新作」が面白くないわけないだろう!?

原作組キャラデザも最高なので、アニメ化しないかしらん。

 

新谷版の舞台はヴィクトリア朝時代となりますが

現代批判視点を「物語」に仕立てるのが本当に上手い。

 

かのヴィクトリア朝時代は平民にも女性にも

「独立した個人」としての人権は認められていないので

いやその法律や認識はおかしいのでは?といった疑問が

現代から見れば発生する事件についても

丁寧に扱われて楽しめるのでした。

 

みんな大好き家庭教師さんや自転車乗りさんは

友人同士なんだよ!!

 

優秀な女の子が陥りがちな

「普通の女の子」への偏見に対しても

優劣をつけることなく生かす道を提示する

女性家庭教師さんがいるという世界がさいっこう!!である。

 

優秀なちびっこ大好きファンにつき

ハイテンション時代のほうが好きなんだけど

「適齢期」の娘さんに成長したら成長したで

コルセットの話や女の爵位の話に遠慮がないのも素敵。

 

生まれた時代・属した国家に関係なく

古今東西作家陣が持ち出してくる「偉大なる母の愛」表現には

わりと幼少期から懐疑的なのですが。

 

新谷さんが出してきたのは「育ての母の愛」だったので

全面的に信頼している節があるわな。

同期認識してる少女マンガ経験ありの男性作家では、一番好きなのだv v

(今度単独記事を書きましょうかね)

 

☆☆☆

 

ヒスイ地方のグッズに飢えているため

ボール型USB加湿器あたりをほいほい買ってしまった……

ギラティナちゃんのかっけーフィギュア出ないかな??

 

学園ものだからポケモン最新作を今年は遊ばんのですが

でっかい個体とタイプ変更は浪漫ですね〜。

タイプ変更の例として出してくるの、ウソッキーなのずっけーな。

 

共通制服はもっとトンチキデザインにして

学園らしさを薄くして欲しかったのと

伝説デザインにおける車輪っぽさが

コライドンさんには活用されてないのがマイナスではあるなあ……

 

ワイルドエリアから抜け出せなくて

数年間止まっていたシールドを再開したら

あっという間に3番目ジム戦までたどり着きそうで

なかなか怖いコンテンツだ。

 

☆☆☆

 

フィクションであることは大前提としても

家畜化されたモンスターたちを使役する行為は

現実世界における「動物虐待」と同様では?という問いが

前世紀から確実に向けられているポケモンですが。

 

単純に虐待ではない!との一点張りではなく

色んな作品を創造し、物語の中で提示することによって

様々な解を出してきているからこそ

ずっと楽しめているとも言える。

(もちろん変な人たちは作中にもいるが!)

 

この創造世界で遊ばせてもらっている受け手も

常にではなくとも、ふとした時には

ポケモンたちの幸福実現については

考えたほうがいいという立場ですね。

 

ポケモンシリーズはウルトラシリーズの「怪獣」要素の

正統後継コンテンツという認識なのですが。

 

ウルトラ初期作品から抱える羽目になる

なんで何もしてない巨大生物を出現したら

問答無用で倒さないといけないんだ!虐待だ!!という鬱屈に対し

バトル=退治ではない、幼体から育てられる、バトルさせない人々もいる、と

カントー時代から提示されてるの大感謝であったな……

 

そもそもウルトラシリーズ内ですら、初期時点で

怪獣を倒さない話を様々な形で提示してきてくれたのであって

未来人向けの作品を全力で真剣に作ってきた人類は

これからも未来人のためにその進化を続けられると信じよう、

ということにならないのかなあ。昨今の風潮はやはりわからんですね。

 

☆☆☆

 

思春期に『イブの息子たち』を愛読していた個体なので

歴史上の人物をモチーフに変な話を繰り広げること、

それ自体には否定的ではないのですが。

 

「ヒットラーおじさんを登場させることによって、

ヒットラーをちゃかしてはいけなかった。

だから連載を終わらせた(意訳)」と語る、ただ一人の作者の

倫理観がないと無理だぜ、という認識。

複数集団で取り扱う題材ではないと思う。

 

あと後出し擬人化(世間で言うところの萌え擬人化)が

受け入れられているのは「原典が尊重されているから」ではないだろ?

嫌な人たちはみんな「黙ってくれてるから」だけで

へそで茶が沸かせるぜい、という静かな怒りが湧きますね。

 

本来の意味での擬人化やケンタウルス化や性別転換なし、

でならまだいいか、と思える自分はまだ穏健派に属するほうだし

ウルトラ怪獣やポケモンとなると絶対に許さない派ですね。

 

みんな「嫌なら見るな」を守ってウルトラ回避したり

魚雷迎撃体制にて自分のエリアを構築したり

同志が集う場所で文句言ってるだけなんですよ。

好き勝手するなら人間だけにしろ、が本音。

 

自分の中にある好きも嫌いも

不特定多数と交わり続けると必ず歪むぜ、という結論となりまして

大勢の同志と長期間交流は持たないよう心がけておりますが。

私みたいな思考で非難してる人は「ちゃんといる」からのう。

 

私も関わらないようにするので、よそでやる分には構わない。

そもそも造形を変化させるのは

アングラに属する特殊性癖という自覚がない時点で

合わないのはわかりきっておるし。

 

☆☆☆

 

三十年ほど前に海外ウルトラマンが作られた時

主人公の配役は日系人で、

メンバーに有色人種が配置されることに何の不満もなく。

 

スタートレックシリーズぐらい

当たり前の感覚だと思っていたので

昨今のファンコミュニティの風潮は

逆にわからなくなってくるよなあ。

 

今なら黒人主人公、「特別な意味はない」黒青巨人が作れそうで

個人的にはすごく見てみたいんだよなあ……!!

 

長期人気作品にめんどくさいファンが増えるのは

いずこも同じとはいえ、当時最先端を目指したであろう

作品たちの翻案・二次創作群が

当時より後退していくのはいやはや感がある。

 

『宇宙大作戦』は今見るとそれなりに問題はあるが

あの時代にあの作品を作った価値が色あせることはないし

批判点を整理して新作で昇華すれば良いので。

 

私ですら気になる部分は、女性は一律ミニスカの制服とか

異星人を「土人」化して船長が恋愛消費するとかね……

 

『ウルトラマンG』は特撮技術や前世紀色の終末思想は古びていても

(終末思想自体は古びてないけどな!)

恋愛要素をアジア人同士にしないとか

赤い制服は女性専用色ではなく個人の選択とか

セクハラ描写を直接映さないとか、全力で未来人向けなのが良い!!

 

☆☆☆

 

『指輪物語』に限りませんが

「既存翻案」信者にしか過ぎない人々が

「新作翻案」に当たり散らす光景には

うんざりしつつありますね……

 

わりとTwitterで長々と書いていたのですが

自分が一番引っかかるところは、新作擁護派も否認派も

《既存翻案に不満のあった層》をないものとして扱いがちである、だなと

解決したこと自体はすっきりしました。

 

『指輪物語』は原作もやたら長い映画版も挫折してるので

この機会にホビットあたりから読もうかのう。

 

☆☆☆

 

私はスピルバーグ版『宇宙戦争』を本当に憎んでおりましてね。

 

この世で一番好きな空想科学小説である原作には

全く存在しない「主人公の子ども」を追加したことを

末代まで祟るレベルで許していないので。

 

スピルバーグのことだから、子役が泣き喚く芝居を

撮りたかっただけなんだろうし(よみがえる過去作群の恨み)。

ならばオリジナルか!子供が泣き喚く原作を!!使って撮れ!!!

 

私の『宇宙戦争』があんなくだらない翻案で

同年代に知名度上がるの許せなかったんだからな!!!!

(学生時代のお話であるよ)

 

原作を「どう」変えるのが嫌なのかは

あくまでも自分のために言語化するべきなんだなあ。

出した答えを、まわりが承認するかは完全別問題なので。

実際には、無視されることのほうが多いしな……

 

☆☆☆

 

黄色人種筆頭、自分の持つ属性が

血肉通ったキャラクターとして扱われてると

嬉しくなる、ちょろいほうの受け手なので。

 

ポリティカルコレクトネスは理念ではあるが

ぶっちゃけ商業戦略だ、という意見に賛成だったりします。

ほいほいされちゃう人類は多いはずなんだよ。

 

☆☆☆

 

アンデルセン完訳信者なので

『リトルマーメイド』の悪口はいくらでも羅列できるくらい

嫌いな『人魚姫』翻案作品なのだが

好きな人多いんだな……いい迷惑だと思ってたけどな……と

遠目に眺めているのでした。

 

いくらアリエルの魅力を広げたところで

海の魔女を「不細工」に描写するの変わらんだろうからねー。

キプリング信者なので『ジャングルブック』の

悪口はいくらでも、というように広げられる。

ディズニー翻案作品群は好きと嫌いの振り幅がデカすぎるのだ。

 

『人魚姫』の海の魔女さんは正しいことしか言わないし、

小鳥に食べさせるようにひきがえるにえさをあげたり、

海へびをかわいいひよっこと呼んでいたり、

大声で笑うとかえるとへびがおっこちる(つまりいつもひっついてる)

大変魅力的なおばばさまで大好きだったのさあ!

……やっぱディズニー許さねえ。

 

現代表現で言えば強火担当というやつにあたるため

幼いながら物語を辿れるようになった子ども時代に

あんなつまんない悪役にデフォルメされて登場した時は

よっぽど絶望したんだろうな。あまりにも嫌だったので、

問題人物が登場するカットはきれいさっぱり忘れている。

 

主にディズニー版を賛美する論調で

原作の海の魔女を大したキャラクターではないと書かれていると

嘘だろちゃんと読んだのか?あんなに輝いてる「魔女」はいないぞ!?となるし

イーザウみたいに海の魔女の台詞を引用する(その価値に気づいている)

作家は完全に信頼してるんだよねん。

 

☆☆☆

 

さてアンデルセンの描いた「原作」の話ですが。

 

『人魚姫』のお姫様は、悲恋のアイコンとして有名すぎて

当人の要素抜け落ちすぎてるけど

王子様そっくりの像を愛でる期間がかなり長かったり、

生まれ育った人魚の世界より人間界に焦がれて、

愛されて人間の魂が欲しいと爆弾発言したり、

海の魔女にすら「おばかさん」呼びされる、やべー女の子なので……

あれを単純に「悲恋」として扱うのは嫌なんだよなあ。

 

しかし王子はさらにやべー人物なので

口の聞けない人魚姫を「愛玩動物」としか扱わないし、

好きな人に似ているから大事だとのたまうし、

いざ最愛の人と結婚できるとなると、

私を愛してるお前は喜んでくれるだろう!と断言する、

いやこの王子、刺してもいいのでは?とよぎるのだ。

そういう点では間違いなく「悲劇」ではある。

 

人間界に旅立った人魚姫をず――っと見守ってくれていた姉姫さまたちが

とうとう海の魔女の髪の毛を差し出してナイフを手に入れたくだりなどを

深掘りしていくと名作翻案が生まれそうなんだけどなあ。

 

『雪の女王』あたりもですが、アンデルセンの描く

女の子を助ける女の子の可能性は無限大だぞ。

(これは萩尾版でピックアップされてた話も同じで、別記事で感想書きます)

 

『雪の女王』の台詞のパロディとなりますが

「あんな王子のために、あなたの美しい声を

差し出すだけの値打ちがあるものかどうか、知りたいね!」

と海賊人魚さんに尋ねて欲しいぐらいですよ。

正直アンデルセンのおのこの

おなごがこんなに頑張る!価値は!!あるのかマジで感すごい(白目)

 

アンデルセンがもうちょい私らの時代に近かったら

ボーイミーツボーイ、ガールミーツガールの童話を

もっと事細かに描いてくれたんでなかろうか?と思うのです。

長々書かれてる異性の恋愛・結婚譚よりも

端的に表現されてる同性同士の友情・連帯のほうが文章鮮やかですもん。

(『親指姫』のツバメさんは、姫さんと同性のメスだと思っている信者!)

 

とはいえ同性同士の恋愛を堂々と表現することへの抑圧が

現代の比ではない頃なので、かの人が現代に生きていたなら

また表現した内容が変わったことは間違いなく。

わりと無意味な仮定ではありますけど。

 

アンデルセンのおなごは基本よきひとなので

原作にそんな姉姫さまは絶対いないと断言できるが

末姫に対する王子のあの扱いをず――っと見ていて

私が王子の胸にナイフを突き立ててやる!!となる

姫さまいてもいいはずだもんな。

 

自分の大好きな人に酷い扱いする他人なんか嫌いに決まってる。

自分の大好きな人自身による対象への好悪は関係ないのだ

私はお前なんか大嫌いだというあれです。

 

あの王子に愛されること=人間の愛を得て魂を得られることかも怪しいので

悲恋物語を恋愛成就の物語に換骨奪胎しなくとも

ピックアップできる要素たくさんあるんだけどな。

 

『人魚姫』の王子は好きな女性への愛情の示し方が

「愛玩動物」か「聖女」かの違いしかない

クソふわっふわした王子さまなので

読み返すたびにイライラ度が深まってるのですよ。

 

深掘りしないほうが良さそうだと判断して

あまり真面目に調べたことないのだけど

もしあの「性格」のキャラクターに実在のモデルがいるとしたら

一方が同性愛者云々以前の話にはなると思う……

性的指向が一致していても危険人物すぎるので。

 

☆☆☆

 

『ソング・オブ・ザ・シー』は体調不良時が初見でも

スコットランド・アイルランドのセルキー伝承、

北の暗く美しい海、異界巡りの表現が素晴らしかったな~。

 

このアニメスタジオが『人魚姫』を

作ってくれたらいいのに、と思いましたもの。

自国の語るべき民話があるのに

わざわざ有名外国童話を作らないだろうけど。

 

ディズニーが海外作品ばかり翻案するの

丁寧な表現でもアメリカは「入植者」の国ゆえ

自国の物語がないからですもんなあ。

まだSFのほうが可能性があるんだよ!!

 

独自解釈を主流に塗り替えてしまうぐらいの

大手が誤った表現を採用したり

ファンコミュニティの横暴を許容することで

発生する災いをあちこちの作品で見かける昨今。

 

それは自分が好きな作品群も例外ではなく

私は無人島でずっとずっと海遊びをしたいだけだが

作品の長寿化に貢献できるか?と問われたら違うのですね。

 

とはいえ同じ作品を好きな「人々」への関心度合いは

作品に関わる要素を並べっこしたら一番端っこになるので

(好きなジャンルほど「いじり」「ノリ」が合わないため)

コミュニティ内でちゃんと交流して議論して自浄作用を持つべき

と言った話には、め、めんどくせえ!!としか思えないんだなあ……

 

同じ作品を好きな人ほど、深く関わりたくはない存在はいない。

遠くの島に同志がいるのだ、と思える距離感が理想。

 

☆☆☆

 

※随時加筆しているエリア※

 

フィクトセクシャル(創作物性愛?)で有名になった人は

思想的に合わないなあ……ということで

とっくにブロック対象であったのですが

まあ盛大に炎上していて同属性としては点目になる。

 

初恋は『風の谷のナウシカ』の王蟲に始まり

あまたの作品人外、基本的に「怪獣」枠の生き物に恋してきましたが

断片映像で海外遠征決意するほどピンときた

『GODZILLA』(2014)の通称ギャレゴジと結婚しているため

自分自身もフィクトセクシャルなのですけど。

 

ただ私個人は、フィクトセクシャルはLGBTQのくくりではなく

オブジェクトセクシャル(対物性愛)同様

パラフィリアのほうが厳密には近いのでは、という疑いを持っているため

自称するには不向きな属性という認識なのですよ。

 

アセクシャル(無性愛)とは違って「性的嗜好」となるのと、

子ども・動物・無生物・創作の生き物たちとは

人間と違い「同意」を取ることができないからです。

 

一応過去記事ざっと検索したけど

数年前だとQ扱いとなっているという書き方をしているものの

元々の自分が、創作用語では間違いなく「ショタコン」に属する関係で

疑ってはいたと思いますのう。

 

そもそも自国の婚姻制度に不満があるにも関わらず

「結婚」と自称しているのは、反発心の表明かつ

生身の人間とは結婚「しない」程度の意味合いしかなく

正確には「信仰」に近いと思っているぐらいで。

 

フィクトセクシャルをLGBTQのくくりで

社会承認を求めるのは何と戦っているんだろう?

 

例の人については本丸はFセクの権利向上ではなく

ポリコレ重視しているディズニー

(あれは商業戦略ですけど)への非難攻撃であり

歌姫さんはそのための呼び笛に過ぎないんでしょうね……

(ボカロPではないらしいと知った時、正直首を傾げた、書かなかったけど)

(役者に恋する作家が正しく「恋愛」をしているかは別として、数としては多いので)

 

自分が彼コスと主張し、ギャレゴジの着ぐるみにて

ディズニーランドに入ろうとしたら

叩き出されても文句は言えねえな、というぐらいの

思考は備えておりますよ。ASDでも擬態は学習しているので。

 

性的嗜好についても、自分を構成する一要素にしか過ぎないので

代表者枠として認知されたい人々はよくわからんもんです。

 

ちなみに怪獣枠の人外が恋愛対象である理由については

《自分よりもはるかに巨大で強く美しい生き物に、

己の存在を認識してもらえるなら死の直前でも幸せ》という

しょーもなさなので、普段は沈めておいてますね……

兵器好きもこっちの路線とはなります、あぶねえな。

 

そりゃあ私だって好きな人外たちとほのぼの暮らすほうが

叶うなら進めたい欲求だけど、それは恋愛じゃないんだ!!(めんどくせえ)

このためギャレゴジは旦那ではあるが

デート可能なのは、映画を鑑賞している時のみなのです。

 

☆☆☆

 

「育てる」という行為が軽視される我が国は

本当に訳がわからないし、未来人を守り育てる行為が

一番重要ごととして成されるのであれば

体外受精だろうが、精子・卵子提供だろうが、人工子宮だろうが、

(自作SFでは人工子宮の埋め込みが推奨になってる)

どんどん進めていけという過激派ですけど。

 

それでも代理母なる名称の母体売買はなしという認識です。

おそらくは技能実習生という名の奴隷制で

もう「稼げない」という目途がついたから

自国の女を使って外貨を「稼ぐ」気満々なんだろうな……

というのが性格の悪い非国民の読みですが、外れるといいね。

 

自分の因子の行方にこだわりがないからこそ

国家が未来人を育てるプロジェクトが本当にあれば

己の卵子提供してもいいんだがくらいには想像するけど

多分発達障害の遺伝子は「いらない」だろうから、はじかれますね。

 

私は一般基準よりは人間を信じてはいないので。

平均寿命から考えて自分より先に死ぬし

外界にその種族を軽蔑・憎悪・搾取する存在が

どれだけいようとも、私を中心とした小さな世界の中で

守り育てることができる「人外」なら家族にできますけど。

自分の因子を備えてるから否かは関係なく、未来人は無理だな。

 

☆☆☆

 

偉大なる女王陛下の「国葬」には参列に行きたいねえ……と

東国の平民すら思うわけですから、各国要人たちならなおさらであろう。

ローマ法王同様、本物の弔問外交だ。

 

まあ「コーギー飼いのマスターである、おばあさま」ぐらいの

距離感だから、こんなのんきな発言ができるとも言えますが。

女王陛下の天国にはコーギーがたくさん待っているに違いない。

 

結婚式も儀式面で関心があったけど

今回も同様なので完全中継どこかでしてほしいな……

狙うならBBCだな。NHKはだめだ。

 

☆☆☆

 

某国の王位継承権にまつわる争いを見てうんざりした中学生は

同世代が後に楽しく語れる黒歴史創作をしている中

「王族の女性が女王の権利を得るまでの年代記」創作をしていたのですが。

 

王族制度自体、根幹部分に権利もへったくれもない仕組みが故

解放するには滅亡させるしかないという結論に達したのであった。

あれから二十年ほど経ったのだが、かの中学生の物語が出した回答は

今も正しいと私は思っていますね。

 

国家の仕組みを血族相続のみで半永久的に回すのは

あらゆる面で不可能であり、「いい王様」のうちでなければ

王族制度を「穏健に」解体させることはできないのだ。

 

『映像の世紀』の約半分英国王だった人は

悪しき植民地主義の象徴でもあり

「関わりの深い人々」から憎悪を向けられるのも当然で

元々不安定だった制度を「個人の才覚」でカバーしてきたなら

新国王体制で瓦解するのは必然とも言える。

 

今後の王室の行方を見るのは少し楽しみですね。

人間は信じたいものを信じるくせに

裏切られたと感じた時の感情は恐ろしいものがあるからなあ。