『ゴールデンカムイ』

 

野田サトルの作品、全314話。

既刊29巻、31巻完結予定。

 

無料開放期間に全話読ませていただきました。

作者、関係者の皆さま

大長編を大団円まで駆け抜けたこと

本当にお疲れ様でした!!

 

結論先に出してしまうと

エンターテイメントとしての出来のよさゆえに

あちこちに見える危うさにつまずきまくった側なので

加筆部分は気になるものの、単行本は買わないかなあ……

 

監修担当者による新書を

完結前に読み終えたかったのですが

間に合わず。

 

以下、ネタバレです。

 

 

 

和人による「入植」後の北海道を舞台にした

黄金をめぐる西部劇調・冒険活劇に

作者の既存フィクション、歴史事実を

ふんだんに盛り込むサービス精神旺盛な作劇が

がっつりはまり込んでいて

一気読みで駆け抜けるには大変魅力的な作品でした!

楽しかったのはうそじゃない!!

 

黄金の謎解きに必要なカギを

「囚人の刺青」に設定したところは

いや、うますぎるだろう、とうなされました。

パラフィリアがぞろぞろ出てきて続々死んでも

あまり悲しくないし(看守大変じゃね!?とは思った)。

 

多分ジャンプ出身だと松井さんの作風に

近いんじゃないかと勝手に認定したので

特にネウロ好きな方は楽しめそうである。

 

青年誌掲載作品であり、作画の細かさから言っても

作者さんが資料をきっちり調べて盛り込んでいるのは

間違いないでしょうから(自分の分野じゃないのでその辺はよそに任せます~)

(狩猟話はほぼ白土三平・矢口高雄で見たから、多分合ってるよな)

何を描いて何を描かないかという作者の「思想」部分が

合わなかったポイントでしょうね、そのあたりはまた後ほど。

 

キャラクターの魅力には大変あふれていて

わりと序盤の緊張感のある関係は好みでした。

あとアシㇼパさんがオオカミと別居家族なのが

最大のフックなのでありましたが

オオカミ出てこなくなっちゃったのが

個人的な不満である(最終回……もいない……泣)。

 

めんどくさい成分満載の尾形は

勝手に人気ありそうだなと思っていたのですが

(私の好みは月島さんです、大団円後も修羅の道を行くのう……)

最後に散る回ではわりと完璧なエンディングを

迎えていたと思う。確かにドストエフスキーだった。

 

「戦う少女」をどう描くかということについては

育ての親の思惑や、「子ども」に対する保護視点、

「当人の成長」を重視し尊重するべきという場を出しているので

かなり好印象でありました。

決戦の場に、一緒に行くという選択も良いね。

 

以下、完全に合わなかった理由になりますので

間違って読み進めていたファンの方は戻ってくださいね。

 

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうちょい空けとくぞ~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆

 

囚人たちの刺青集めの過程で

パラフィリア博覧会か……!?という状態なのは

よしとしても、演出を「きらきら」させていたのが

すごく気になりました。

 

これは純粋な趣味描写、エンターテイメント優先のネタ描写、

どっちだろう???という見せ方が続くんですよね。

後者が前者を「活用」する場面を散々見せられてきた

特撮畑としては警戒するのでありましたよ。

なぜ後者を囃し立てて盛り上げねばならんのでしょうねー。

 

当人たちは感動的に盛り上がっているが

まわりは冷ややか(締めが皮ハギ発言)であった

親分と姫エピソードに対し、

坂本とお銀は、当人もまわりも

ドラマチックに演出するんですねえ……とか。

 

姉畑の所業はパラフィリア分類の中でも

「同意を取れない生き物に対する」自慰行為という

最低エリアに属するものなので(最後に殺害しますし)

「物語の男主人公」に賛美させるコマだけは

回避するべきだったのではないかねえ……とか。

 

いじり視点込みで、男同士の熱いあれこれに萌える人なんかなと

勝手に思ったのですけれど、インタビューにおける

単語のチョイスからして、それで正解だったようです。

青年誌の作家だとあの辺隠さないな、少年誌だと

もうちょい単語選ぶんだけど(隠れてるかどうかはあまり関係ない)。

 

実写映画化の報におけるネットの反応でも思いましたが

一番危うい点は「和人の消費物としてのアイヌ」に対し

あまり批判的な視点を持たずに、作劇しているのでは……

というところですね。

 

アシㇼパさんが「アイヌ属性」において

蔑視対象になるのは、本当に序盤だけでしたし。

(白石は対象を「属性」ではなく「個人」として見た時には

蔑視しない人なんだな、という描き方でもあったが

そこは万人共通だったりするので)

 

一応、最終話を読む前での感想としては

彼女がいくら頑張っても彼女の願いはかなわないだろう、

後日談において現代日本とは違う歴史に分岐したぐらい

ぶっ飛び描写がきたとしても、やるせなさが消滅するわけではないという構えでしたが

最終話のあの状態を良しとするのであれば……拒否側に移動してしまいますね。

 

私の最も信頼する作家のひとりであるラルフ・イーザウの物語において

「先住民の子どもが博物館を探索すると、自分の父の剥製標本を発見する」という

印象的なプロローグがあるのですが。

先住民を題材として描く時に、万博で先住民を「展示」していた頃から

我々は本当に変われているのか、という批判的視点が作中の描写からは探せない。

 

ただ忘れてはならないのは、先住民はいつまでも

「彼らの文化的な暮らし」を継承し続けなくてはならないのか?

現代文明の恩恵にあずかって「豊かになる」ことは否定されるべきか?

それもまた、現代社会に属する側の「消費」ではないのか?というあたりで

まあここまで踏み込む物語はかなり難易度が高いですけれど。

 

こういった消費行為に対する問いかけの不足は

『ゴールデンカムイ』だけではなく

国内で現在連載されている『乙嫁語り』でも

気になっている点でして(あれもキャラは大好きなのだよ!)。

 

人類の負の歴史に対する当事者性が

「日本人」からは欠落しているのでは?という疑問が

創作ではなく現実からも見える時勢になっているため

まあわりかし引っかかってしまうのでありました。

 

私の私怨により一番納得いかんのは

推しの月島さんが鯉登さんと修羅の道を行くなら

鶴見中尉やいご草ちゃんについて「ちゃんと知った」上で

ついていってほしかったんだなあ……という。

 

この辺は加筆対象の可能性もありますが

本編着地において描いてほしかった要素でありました。

だってあんまりやん……鶴見劇場発言から

この人がどう変わっていくのかすごく気になってた人なのに。

 

二周目をペースダウンで進めており

以下、追記部分となります(22.05.06時)。

 

☆☆☆

 

読み返すとやはり、序盤の緊張感のある関係が

好みだなあ、と思いました。絵もそうなんですけど。

 

囚人博覧会が本格的に始まりきらきらトーンが増えるとの

「先住民の権利」について突っ込んだエピソードが見えてきたあたりで

「触れない」という選択肢もあったのに最後どう着地するのかなあ、

という距離ができてしまうのはやはり残念。

 

以前、断片的に読んだことのある個所は

ちょうどチカパシの「勃つ」一連パートだったので

ふむ、青年誌作品としては面白そうだが

私向けじゃねえな()と思っていたのと。

 

「正しい」フィクション VS 「正しくない」フィクション論争の

「正しい」側扱いになりがちな作品だったこともあり

(『進撃の巨人』あたりもそうですね、あれも面白いが好きではない)

そこまで信頼できる作者さんなのかなあ……と、外野からは疑問だったので

いざ受け手になっても冷ややかになってしまうのは仕方ないですね。

 

連載終了後、原画展関係の作者インタビューを読んでも

和人による都合の良いアイヌ消費文化について

出版社含め、納得いく回答・表向きの態度表明は

出てこないだろうな、という結論に至ったので

気になる要点のみ残して終了とします。

 

★先住民に対する姿勢について

★アシㇼパの「残したいもの」について

★西部劇における先住民について

★白石王国について