『一度きりの大泉の話』

 

萩尾望都の自伝。

 

前の記事『少年の名はジルベール』が

好評だった余波で、望都さんにも

色々なお話が飛び込んでくるようになり……

という経緯の元に描かれた、一種の暴露本です。

 

望都さんにとって大泉時代は

「物語」として消費されたくない出来事とはいえ

人間は事実を元にした「おはなし」が大好きな生き物なので(!)

「ずっと」は叶わないだろうなあ……

 

ということはわかりきっている前提で

あくまでも私たち読者に向けられた本なのでしょうね。

 

元々狭い範囲の「24年組」に不満を抱いていた個体なので

(広範囲だと十代で本当に大好きだったのは青池保子・山田ミネコ。

山岸凉子にはまっていくのは二十代以降)

この機会に「24年組」表現が廃れるのは

歓迎しちゃうかもしれんです。

 

以下、感想です。

 

 

 

萩尾望都・竹宮惠子両名の

エッセイやインタビューに触れていれば

若い頃同居生活をしていたのは確かだけれど

何かあって今は疎遠なんだろう、というのは

察せられたとはいえ「事実」を知ると

驚きは大きいですね。

 

こちらの本でよく登場する

ドジ様こと木原敏江の一言で

問題点が整理されるのは良いですね……

確かに作家同士が同居するのはいかんです。

 

かなりずけずけと言う佐藤史生も

人間トラブルに対して直接聞いちゃうネコせんせーも

イタコになる山岸さんも

よいアクセントになっておりますな〜。

(史生さんの印象が変わったという他の人の感想はよくわからんです)

 

望都さんは家庭環境から自己評価が低いですし

ご本人も発達障害の気があるのでは?というお話をされていたので

竹宮・増山両氏とはいずれ疎遠になったろうという気はするのですが

(あの方々、圧倒的に陽の属性と思われますし)

距離が近すぎて、事件が発生してしまったんだろう。

 

当時の若者は大人とはいえ

二十代前半の人々で衝突が起こらないはずもなく。

城さんの証言で違う視点が付与されるので

「真実」はみんな違うでしょうしね。

 

望都さんの時代・作家区分は

わりとすとんと落ちるほうなのですが

なかなか採用されないだろうな……

 

一ファンとしては

『精霊狩り』シリーズの続きが描かれないの

ちょっと切ないなと思ったり

元々の構想分の『ポーの一族』(「小鳥の巣」まで)は

私も大好き!!とにまにましたり

『トーマの心臓』のエーリクのエピソードで

作者もあのキャラに救われたんだなあ……とじーんとしたり

感情の行き先が忙しい本ではありました。

 

ふせん大量につけちゃったので

そこの部分だけ読み返すかなあ……