「キャスバル・レム・ダイクン」という少年について。

 

アニメ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』という作品を

Ⅰ~Ⅲ回まで見ての感想。原作のマンガは未読です。

 

Ⅰはスケジュールの兼ね合いで

劇場にて2回しか鑑賞することができなかったのですが

嫌いなキャラクターの過去として名前を知っていただけの

「キャスバル・レム・ダイクン」という少年は

生きている人物として私に強烈な印象を残してくれました。

 

彼の未来はすでに本編という名の過去作品で明示されているので

このまっすぐに相手を見据えることのできる少年が

どう変化していってしまうのか

見届けるのが辛いなあ、という気持ちで

Ⅱ、Ⅲを追いかけていたのですけれど。

 

本当に、あの男の子はいなくなってしまったんだなあ……

という感傷的な文章でまとめた感想となります。

キャスバル坊やの物語から想起される

別作品・キャラクターの固定名詞もどんどん出てくる

内容となっております。

 

ぶっちゃけ具体的に挙げますと。

安彦良和という作家の手法は

同時代の少年マンガ作品よりは

往年の少女マンガ作品(知る人ぞ知る、黄金時代の白泉社!など)寄り

という印象を抱いておりますので

『日出る処の天子』『はみだしっ子』などの

作品比較となってしまいますね!

 

 

☆『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅰ』

 「青い瞳のキャスバル」時代

 

キャスバル坊やについて

初鑑賞時に抱いた印象は、次でした。

 

「え?なんでこの子、長男なのに

 絶賛放置プレイされているの??」

 

絵のすばらしさ、演技の確かさ

いずれ繋がっていく未来を彷彿させる物語世界に魅了されつつ

なぜこの少年は長子でありながら

この扱いなのかが気になってしまい

鑑賞2回目はずっとキャスバル坊やの作画・演技を

追いかけていたのですけれど。

 

父を心配する妹にかける言葉といった、何気ない一コマに

この子、お父さん好きじゃないんだな

すでに独りで立とうとしている強い子だけど

寄り添ってくれる存在がいないな。

妹には猫がいるのに、なんで兄は独りなんだろう。

気になる細かい部分がどんどん出てきて

まとめてしまうとつまり。

 

彼が生まれてからあの年になるまで

どんな日々をすごしてきたのだろう…???

 

ということで

さらにさかのぼった時間軸のお話を

見てみたいな、という気持ちになりました。

(原作では生まれた直後のエピソードがあるらしいのですが)

 

なんせ後年まで彼を苦しめる幻影母体となる

実母・アストライアさんが

なぜあの子をほっぽいといているのかが

本当に謎で……謎で……過干渉でもないですし。

 

長男・長女あるある的な

「お兄ちゃん・お姉ちゃんなんだから……」

といった言動を示すわけでもなく

かといって、特別なひとりの小さな大人として

「あなたはダイクン家の跡取りとして……」

といった言葉をかけることもなく……

 

別れの前の最後の夜で息子のみを思いやる場面が

ひとっっっつも出てこないのはもうホラーかと思いました。

 

ただアストライアさんは正妻との対話の中で

(あの立ち位置の見せ方はどー見ても愛人上がりの妻だなあと思ったら

最後まで愛人なのかよ、あの男殺す)

キャスバルもアルテイシアもダイクンの子として

恥ずかしくないように育て上げました

という姿勢を見せてはいたんですよね。

 

ただの女性同士のバトル故の誇張なのか

それとも本当にそう本人は信じているのか。

 

仮に後者なのだとしたら

幼少期に「英才教育」を施しておいて

それは完了したとみなし、今は放置プレイなのか……??

 

あの、年齢の子どもを?十代後半ならいざしらず??

優しい人でした。

美しい人でした。

善人でした、ほぼ間違いなく。

 

でも息子に自分がどんな仕打ちをしているのか

見えていない母親って本当に怖いんだなあ……

 

彼女に似ているキャラクターとしましては

『日出処の天子』の間人媛

『はみだしっ子』のグレアムの母親

といった人々が浮かんでくる限り

あまり好きなキャラクターではないのでしょうね……

とても不安になるタイプの女性でした。

 

キャスバルくんが時折見せている表情から

まだ引き返せる段階だと思えますので。

 

もうひとかけらだけでも

息子を思いやる情景があったのであれば

母の愛があのような形であっても

彼に寄り添う何かが

ひとつでもいてくれれば(個人的には犬を推します)

 

「復讐者」のあり方にも

違う形があったのではないか……

と、後年の彼に対して

とても感情移入できる少年時代でした。

そう、この時点では、ですが……

 

☆☆☆

 

余談、演者のお話。

キャスバル・レム・ダイクンは

役者さんが田中真弓で本当に良かった人物です。

(安彦さんのイメージではすでに彼女だったとか!)

 

長年演じている作品キャラクターの

印象に引きずられてしまっていますが。

『銀河鉄道の夜』のジョバンニに見られるように

幼さと大人っぽさと繊細さを備えた

揺れる生身の少年を演じられる役者のひとりだと

思っていますので……!!

 

もっと難しい役どんどんやってほしいなあ……

と密かに思っているのですよ!!

 

☆☆☆

 

さらに余談。

ORIGIN Ⅲ鑑賞のため、映画館に通っていた頃の話。

 

『名探偵コナン』『ポケットモンスター』『ONE PIECE』

上映中、予告ポスターが掲示されており。

 

私の幼年期・90年代に始まったコンテンツの

主役をはってる皆々さま

(高山みなみ・松本梨香・田中真弓)は

超ベテランの領域なんだなあ……

とぼんやりしてしまいました。

 

 

☆『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅱ』

 「哀しみのアルテイシア」時代

 

自分の能力を隠密生活の中で持て余し

どこか鬱屈とした、けれど優しさをまだなくしてはいない

青い瞳の青年が変化していく物語で

鑑賞するのはちょっと大変でした……

 

キャスバル坊やがエドワウに成長したのは

さほど違和感はなかったですね。

エドワウが父親を快く思っていないことは

ジンバ・ラルの思想教育()の場面で伺いしれて

逆にほっとしたとも言えます。

 

しかし鑑賞していく中で

エドワウ自身はずっと、母親のことも

うとましく思っていたのではなかろうか……

という疑念を払うことが、私はできませんでした。

 

母親が亡くなって感情に支配されていくというその場面まで

彼が母親をどう思っているのかというのが

かけらでも示されることはなかったので。

 

ハモンとの面会という場面で

再びアストライアという人物に

触れることもできましたけれど。

その語りぶりから、彼女は亡くなるその最期まで

キャスバルとアルテイシアに与えた愛の違いを

気づくことはできなかったのだなあ……

それこそが全ての始まりとまでは言えずとも

何かしらの天秤を傾けてしまったのだろうと

ハモンの涙に共感することはできませんでした。

愛した男性との出会いがあの形であり

与えた想いがそれであるなら

子どもを作ってはいけなかったのではなかろうか?

という疑念もありましたしね。

それは終わりまで愛人でしかいられないよ……

 

母親が亡くなった後の瞳は

「怖い」としか形容しようがないもので

ストッパーなりえる妹を捨てていったのも

彼にとっては必然だったのでしょうね。

「さようなら、アルテイシア」

と言葉をかけた後、前を見すえる瞳が

とても印象に残っています。

 

泣きながら駆けてくると予想できるであろう妹を

別れを告げた後は見ることはない。

振り返った先に見える景色に妹はいない。

 

主題歌の内容もあいまって

この人、もう帰れないのだなあ……

それを自分で選んだんだなあ……

と、Ⅲ以降見ていくのが不安になったことも確かです。

 

☆☆☆

 

余談、演者の話。

 

もはや大御所の池田秀一が

長年演じているキャラクターの過去とはいえ

少年・青年期を演ずるのは

無理があったのでは・やはり無理だったといった

お話が他の方々の感想ではありましたけれど。

 

私は、そこまで違和感はなかったですね。

(池田さん、難しい役で大変そうだなあ……とは思いましたが)

 

元々の台詞数がさほど多くなく

絵で語られる情報のほうが多いのでは

というキャラクターだったこともありますけれど。

 

抑揚のつけ方、ふるまいの見せ方といった細かい所作

何よりもⅡの終盤ですでに見られる

後年の復讐者を彷彿とさせる語りにつながっていく

ということでは満点でした。

 

☆☆☆

 

さらに余談、またまた演者の話。

 

本物のシャア・アズナブルを演じた

関俊彦に少年期を任せたほうが自然だったのでは

という意見も目にしたのですが。

 

……それはどうかなあ???

 

関さんなら「できない」ということはないでしょうけれど

私は他の方が演じたら、何がどうなってシャアの演技になったんだろう?

という違和感のほうが大きかったように思えます。

どこで切り替えるのか問題もありますしね。

 

何よりもシャアくんの演技がすばらしかったので。

 

素敵な両親に愛されて育ったいい人であるが

その恩恵の価値を知らず、ジオンの思想に染まっていく

まさに若者は馬鹿者の典型例たる一人息子という彼が!見事で!!

 

あの、漂う「この人、すっげーいい人」感は

この方にお任せしておきたいなあ、という

結局は私の好みではありますけれど(笑)

 

 

☆『機動戦士ガンダム  THE ORIGIN Ⅲ』

 「暁の蜂起」時代

 

冒頭から、あ、これはシャアだ!

私のだいっっきらいな男だ!!

という絵と演技と演出でありまして。

 

お前はずっとサングラスでいいよ

目が見えると怖いんだよ

という妙な方向にハイテンションのまま

鑑賞しておりましたが(たまにDV彼氏要素にどんびく)。

 

リノくんを謀殺したその、瞬間。

無線の向こうから慈悲を請う彼の

「キャスバル」という呼びかけに対して。

 

「ボクはキャスバルじゃない。シャア・アズナブルだ」

 

この言葉を聴いた時。

キャスバル・レム・ダイクンという少年は

完全に死んでしまったのだと

私はぼろぼろ涙を流してしまいました。

 

ジオンに戻ってきた理由とは?

ザビ家への復讐は確かに目的ではあった。

でも彼は父親が嫌いだった。

ダイクンの遺児として名乗りを上げる気持ちはなかった。

それらの想いが、あの言葉に集約されているように思えます。

 

「ボクはジオン・ズム・ダイクンの息子だ」

「大きくなって、あなたたちを従えるんだ」

「キャスバル・レム・ダイクンが命令する」

 

そう告げたあの男の子はいない。

真っ直ぐに相手を見すえたあの男の子はいない。

 

他の誰でもない、「本人」が殺してしまったのだから。

 

外部要因はあくまでも外部の出来事であって

内面を選び取るのは他でもない、自分にしかできないのです。

 

現実で、創作で、語られてきた物語の人々ほど

過酷な、悲惨な体験をしてはいなくとも。

子ども時代の感情や記憶を

埋もれさせてしまうこと、隠してしまうこと

それは誰にでも起こりうるのです。

 

ただ、自ら幼い己を殺してしまった場合。

それは決して取り戻せないのだとも。

迷子なら、眠り子なら、取り戻せるけれど。

幼子の自分を救えるのは己しかいないのですから。

 

主題歌がアストライア目線というのも

私には怖かったですね……

「息子」の死を見せられたその直後

そんな場面ありましたっけ??という幻想お母さんの

愛の歌を聴かされるわけですよ、おまけに字幕付き。

 

作品を知らない方に作詞・歌唱を依頼。

音が最高音域にいかない音譜構成。

これで狙いがないとしたら逆に怖いのでは……

と、深読みかなあ?と思いつつ

エンドロールを見ながら毎回考えております。

 

☆☆☆

 

余談、演者の話。

 

Ⅲはすでにシャアがシャアになっているということで

本編でもイベントのトークでも

池田さんが!輝いている!!というのが印象に残っています。

演技は本当にすばらしかったですからね。

 

彼は長年演じてきて手の内にありました

エドワウとは仲良くなれなくて大変だった

20のシャアは、もうこっちのものだな!

と楽しそうに語るあの姿が忘れられません……

 

早くアムロくんとからみたいのでしょうけれど

それは何年後になるのか……

 

 

☆『機動戦士ガンダム THE ORIGIN Ⅳ』

 「運命の前夜」時代

 

この秋公開のため未鑑賞ですが

ここまでがシャア・セイラ編につきこちらについても触れます。

 

キャスバルという少年を殺したシャアは

そしてララァを見つけてしまうのですね。

「母親」になってくれたかもしれない、女性を……

 

私はZ世界線以降のシャアは

元々嫌いに自乗をかけて本当に大嫌いで()

とどめのあの台詞に関しましては(アムロくんに言ったあれだよ)

 

「ララァは!命を賭けて守ったんだ、愛するお前を選んだんだ!!

 そんなこと言うならアムロくんに返しやがれ——!!!!」

 

と映像に喧嘩をしかけるくらいには大嫌いなのですが。

(ファースト時代には「夫婦」の呼吸感、と

双方役者も言っていたはず、という距離感なのに)

 

Ⅳの展開を映画館で耐えられる気がすでにしていないのです、まる。

予告編の印象のみで並べ立ててしまいますけれど。

出会い時のララァがうさんくさいグラサン男を警戒していたこと

そのララァを何かしらの手段で引き取ったこと

気持ち悪さ無限大・鳥肌MAXの優しい声で

(あんな声、妹相手でも聴いたことねえな!!)

なんか言ってることなどなど……

 

行儀良く見られる気はもうしていないので

早く戦争になーれ!!と唱えているのでしょうね……

ララァの作画がすんげえかわいい分

歯ぎしりしっぱなしかもしれないですね……

 

制作が決まったルウム編のほうがすでに見たいです、まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

単独で記事を設けるほどではありませんが

キャスバルと対比して文章で整理したかったので。

 

☆「アルテイシア・ソム・ダイクン」という少女について。

アルテイシア・ソム・ダイクン。

キャスバルの実の妹であり、のちにセイラ・マスと名乗る

金色の髪・青い瞳が印象的な心優しい少女。

 

彼女は周りの世界を知るのには年相応に幼なかった。

かつ「愛された」少女であるがゆえに

養子となったその後もまわりの愛を受け止めて

全うに成長し、「大人」になっていく女性に思えます。

 

そして。

 

何もかも失った彼女が生きるため

身につけた鋼の強さが、未来を変えていくのだとも。

『機動戦士ガンダム』の物語時代において

彼女はサイド7に早々と住まいを移している

と思っていたのですが、ORIGIN版の積み上げ方では

ずっとサイド5にいるのでしょう。

 

そう、歴史上に知れ渡っている

ルウム戦役の舞台にです。

 

先日、制作が決定されたルウム編の予告で

彼女は炎燃えさかる中、銃を手にしています。

サイド5が開戦直後の戦場になること。

アズナブルさんの息子が敵のエースパイロットであること。

サイド7に来た頃のセイラさんが孤独であること。

それはすでに、与えられた情報から導き出される確定未来です。

 

戦車の操縦桿を握った兄に、かわいそうと涙した少女が。

哀しい想いをたくさんしたから、お医者さんになるのだ、と

凜と微笑んだ美しい女性が。

涙を浮かべながらも、それでも標的からは目をそらさない。

彼女は「守る」ために、武器を手に取れる人に変化したのだと。

 

子ども時代の運命の交差点が、なぜシャアとアムロではなく

セイラとアムロだったのかも

なんとなくわかるような気がします。

 

ファーストガンダムではわりとまわりの殿方に

冷たい行動を取りまくっていた印象のあるセイラさんが

なぜアムロくんには(相対比較的に・汗)優しかったのか。

 

彼女のまわりから、愛する人々は皆去ってしまったけれど

ゲートですれ違ったあの少年はそこにいてくれる。

まっすぐに言葉をぶつける強さで、相手を見すえるまなざしで。

だから始まりからアムロくんには思い入れがあり

やがて別の感情に変化してくのだろうとも。

……というカップル願望補正がかかってしまうのですけれど

ORIGIN版ではあながち間違いではない気がしています(汗)

 

セイラさんが完全に愛された末子コースを辿っているゆえ

全てを終わらせるために

彼女が「ダイクンの娘」として名乗りを上げる未来線も

あながちありえないことではないな、と私は感じていますね。

その存在を殺してしまった、兄と彼女は違います。

 

ORIGIN世界線は、Z以降世界線も踏まえた上で

再構築された歴史物ファーストガンダムだなあ、という

印象を抱いておりますが、ORIGIN版のセイラさんであれば。

彼女はきっと「兄」を許さない。

彼女はきっと折れたりはしない。

彼女はきっとアムロくんと一緒に戦い続けられる。

というカップル願望も込めまして、そんな予感がし続けています。

 

こちらの少女の物語は表向きの名前は変化しようとも

途切れることなく続いていますので、今後がとても楽しみです!!