東京五輪の惨状の再襲来が確約しつつある
故人の国葬について、自分の場で
考えを残しておかなければならないな、という文章です。
故人は私の支持政党に属していないし
長年総理を務めたとはいえ、実行された政策や個人の行動には
非難のまなざししか向けないという個体ですから
この辺含め、私が「非国民」扱いを受けることに真面目に反論はしませんが。
どこの誰であろうと「国葬」という形を
取る必要はないという認識ですし
ここ十数年の日本は弔問外交に真面目に参加してなかったため
自国に要人が来てくれるだろう、という読みが甘すぎる。
そもそも故人の死因に、要人警護に不備があったのでは?と
指摘が出ている状況ですし。
葬儀自体は完了しており(殯状態だったら怖いぞ)
親族関係者からも不本意という声が出ている中
誰のために何のために行われる「儀式」なのか。
国の滅びをゆっくり眺めているのかもしれないな、
という心境にて、新情報に接する日々を過ごしております。
意見を求められる場においては「中止表明」側ですが
中止する力は賛成側にも反対側にも
すでに失われているという認識ですので
問題のXデイは、故人の行いによって
亡くなった・苦しんだ人々のために
自分の時間や思考を使う日でありたいものです。